ノジモフが格闘技の世界に魅了されたのは、わずか6歳の時であった 。
当時、ロシアや中央アジアの少年たちの間で熱狂的な人気を博していたのが、日本の総合格闘技イベント「PRIDE」である。
特に彼の心を捉えたのは、「ターミネーター」の異名を持ち、電光石火のハイキックで巨漢たちをなぎ倒していたミルコ・クロコップ。
彼は「武道家」として生きる道を明確に意識し始めた。
ノジモフの格闘技のルーツは、驚くほど多岐にわたる。彼は単一の競技に固執することなく、幼少期から多様な格闘体系を吸収していった。
- 打撃系競技(ボクシング、空手、テコンドー): ボクシングによって精密なパンチの技術とフットワークを学び、空手とテコンドーからは足技の多様性と間合いの感覚を習得した 。後のRIZINでの試合で見せる変幻自在なキックや、一撃で相手を沈める膝蹴りの精度は、この初期の修練がベースとなっている。
- 組技系競技(レスリング、柔道、コンバットサンボ): ロシアのお家芸とも言えるレスリングと柔道は、彼の重心の安定性と、テイクダウンに対する防御能力(スプロール)を飛躍的に向上させた。さらに、打撃と投げ、寝技が融合したコンバットサンボの経験は、MMAという競技へのスムーズな適応を可能にした 。
- ストリートファイトの経験: マグニトゴルスクという街の性質上、実戦的な感覚を養う場はジムの中だけではなかった。ノジモフ自身も回想している通り、路上での喧嘩、いわゆるストリートファイトの経験も彼の戦士としての本能を研ぎ澄ませた一因となっている 。
これらの多様なバックボーンは、ノジモフを特定の「型」にはまらない、極めて対応能力の高いファイターへと成長させた。
2015年4月10日、ノジモフは地元マグニトゴルスクで開催された「WCSA Combat Ring 13: Steel Heart 5」でプロデビューを果たす 。デビュー戦の相手はルスラン・ヒサムトディノフであった。しかし、結果は非情なものであった。1ラウンド2分30秒、リアネイキドチョーク(RNC)による一本負けを喫したのである 。
この敗北は、ノジモフにとって「打撃の優位性だけではMMAは勝てない」という厳しい現実を突きつけた。特に、背後を取られてからの防御技術という、初期のストライカーが陥りやすい弱点が露呈した形となった。
デビュー戦の敗北後、ノジモフは自身の適正階級を模索し始める。2016年7月4日、フェザー級に落として臨んだRussia Regionalにおいて、ヴャチェスラフ・ディモフを相手に1ラウンドでのTKO勝利を収め、待望のプロ初白星を手にする 。この試合で見せた圧倒的な攻撃性は、彼の本来の資質が発揮され始めた兆しであった。
しかし、キャリア初期の戦績は必ずしも安定していたわけではない。2017年、彼はライト級とフェザー級を行き来しながら、勝利と敗北を繰り返す。
2017年12月のユーリ・ビルチャコフ戦での敗北は、デビュー戦と同様にリアネイキドチョークによるものであった 。このことは、彼がグラウンドの防御、特にバックポジションからのエスケープにおいて、依然として構造的な課題を抱えていたことを示唆している。この時期のノジモフは、天賦の打撃センスに頼る傾向が強く、トータルコンバットとしての完成度を高める必要性に迫られていた。
2018年、ノジモフはさらに階級を下げ、バンタム級での試合に挑む。3月の「N1 Championship of Contact Unions」でのカイラトベク・イマロフ戦では、これまでの課題であった寝技において進化を見せ、ギロチンチョークによる一本勝利を収めた 。続く5月のドミトリー・シュルギン戦でもサブミッションによる勝利を重ね、技術の幅が広がっていることを証明した。
この連勝は、ノジモフの自信を深めるだけでなく、彼の戦い方がより戦略的かつ多角的なものへと変貌を遂げていることを内外に示した。11月にはフェザー級に戻し、ヴァディム・サビンを1ラウンドで粉砕。この1年で彼は3連勝を飾り、ロシアのローカルシーンにおいて「最も危険なストライカーの一人」としての評価を確立した 。
2019年4月26日、ノジモフは再び地元のマグニトゴルスクで「WCSA Combat Ring 29」に参戦する 。対戦相手は強豪セヴァク・アラケリャン。この試合は、ノジモフにとって大きな試練となった。1ラウンドでの決着を好む彼にとって、3ラウンドに及ぶフルタイムの判定戦は珍しい経験であったが、粘り強い戦いを見せて判定勝利を収めた 。
この勝利の意味は大きい。早期決着が望めない展開においても、高い集中力を維持し、ポイントを奪い続ける「戦術的な規律」が身についてきたことを示しているからだ。同年7月にはヴィクトル・ミトコフを相手に再び判定勝利を収め、連勝を5に伸ばした 。
ノジモフの快進撃は、ロシア最大のMMAスターであるハビブ・ヌルマゴメドフの目にも止まることとなる。2021年3月19日、ノジモフはハビブが主宰する「Eagle FC (EFC) 34」に参戦した 。対戦相手のセルゲイ・クリューエフに対し、ノジモフは圧倒的な打撃の圧力を見せ、2ラウンド終了時にクリューエフを棄権(TKO)に追い込んだ 。
Eagle FCというハイレベルなプラットフォームでの勝利は、ノジモフがロシア国内のトップ戦線に完全に加わったことを意味していた。この時点で彼の通算成績は8勝2敗となり、次なるステージとして中東、そして世界を見据えるようになった。
ノジモフのキャリアにおける最大の戦略的決断は、トレーニング拠点をタイのプーケットにある「タイガームエタイ(Tiger Muay Thai)」に移したことであった 。
ここでノジモフは、それまでの自己流に近いトレーニングから、科学的かつ組織的なMMAトレーニングへと移行する。
タイガームエタイでの日々は、ノジモフに技術以上のものをもたらした。彼は、元UFCバンタム級王者ピョートル・ヤンや、トップコンテンダーたちと日常的に拳を交えた 。
ピョートル・ヤンとのスパーリングは、ノジモフにとって「データ・ダウンロード」そのものであった。王者の距離感、プレッシャーの掛け方、そして何より「絶対に折れない心」を、彼は肌で感じ取った。
この時期のノジモフは、単なる「パンチの強い選手」から、相手の動きを先読みし、最小限の動きで致命傷を与える「MMAアーティスト」へと脱皮しつつあった。後のインタビューで、彼はタイでの生活を「自身のキャリアにおいて最も重要なリスクと投資だった」と振り返っている 。
2022年、ノジモフは中東の主要プロモーション「UAE Warriors」と契約する。10月の「UAE Warriors 34」において、彼はカザル・ルスタモフを相手に、タイガームエタイで磨き上げた寝技の成果を見せた。1ラウンド後半、流れるような動きからギロチンチョークを極め、完璧な一本勝ちを収めたのである 。この勝利により、ノジモフは中東のファンからも熱烈な支持を受けるようになった。
しかし、格闘技の神様は彼に過酷な試練を用意していた。2023年3月18日、「UAE Warriors 39」でのルステム・クダイベルゲノフ戦。試合開始のゴングが鳴り、観客が目を離した瞬間にドラマは終わった。開始わずか8秒、相手の放った最初の一撃がノジモフの顎を捉え、彼はキャンバスに沈んだのである 。
キャリア最大の屈辱とも言えるこの秒殺KO負けは、ノジモフに深い傷を残した。しかし、彼はこの敗北から逃げることはなかった。後に彼は、「あの敗北が自分に『油断』の恐ろしさを教え、真のプロフェッショナルとしての自覚を完成させた」と語っている。
UAE Warriorsでの惨敗からわずか8ヶ月後、ノジモフに運命のオファーが届く。日本のRIZINが初めてアゼルバイジャンで開催する「RIZIN LANDMARK 7」への参戦である 。2023年11月4日、バクーの地で彼はホアレス・ディア(Jaures Dea)と対戦した。
この試合は、ノジモフにとって「生き残り」をかけた戦いであった。彼は慎重かつ正確なストライキングでディアをコントロールし、3ラウンドにわたって主導権を渡さなかった。判定は満場一致でノジモフを支持した 。この勝利により、彼は日本のRIZIN本戦へのチケットを正式に手に入れた。
2024年4月29日、有明アリーナで開催された「RIZIN.46」において、ノジモフはついに日本上陸を果たす 。対戦相手は元Fighting NEXUS王者の山本空良。若くして実力派の山本に対し、ノジモフは圧倒的な実力差を見せつけた。
2ラウンド、ノジモフはタイガームエタイ仕込みの肘打ちとパンチの連打で山本を追い込み、レフェリーストップを呼び込んだ 。しかし、この勝利の瞬間、ノジモフの表情に喜びの色はなかった。彼は試合中に膝の靭帯を断裂するという重傷を負っていたのである 。
勝利と引き換えに、彼は約1年2ヶ月に及ぶ長期休養を余儀なくされた。手術、リハビリ、そして孤独なトレーニングの日々。この空白の期間、彼は自身のルーツであるウズベキスタンに一時帰国し、家族との時間を過ごしながら精神的な再充電を行った 。
2025年6月14日、北海道で開催された「RIZIN LANDMARK 11」で、ノジモフはついに戦線に復帰した 。対戦相手は、グラウンドでの強さに定評のある新居すぐるであった。
長期ブランクによる試合勘の鈍りが懸念されたが、ノジモフはそれを一蹴した。1ラウンド2分09秒、相手がテイクダウンの予備動作を見せた一瞬の隙を突き、完璧なタイミングでフロントキックを顎に直撃させた 。新居は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。この一撃は、ノジモフが以前よりも鋭敏な感覚を研ぎ澄ませて戻ってきたことを象徴していた。
そして、2025年の大晦日。さいたまスーパーアリーナで開催された「RIZIN 師走の超強者祭り」において、ノジモフはキャリア最大のチャンスを手にする。当初予定されていた野村駿太の負傷欠場を受け、急遽、絶対王者ホベルト・サトシ・デ・ソウザの持つRIZINライト級王座への挑戦が決まったのである 。
世界最高峰の柔術を武器に、圧倒的な支配力を見せていたサトシに対し、ノジモフの勝機は「スタンドでの一撃」に集約されていた。試合開始のゴングが鳴り、サトシが距離を詰めようとした瞬間、ノジモフは膝を上げた。
電光石火の膝蹴りが、サトシの頭部を捉えた。開始わずか13秒。絶対王者がマットに沈み、レフェリーが試合を止めた 。会場は静まり返り、次の瞬間、地鳴りのような歓声に包まれた。イルホム・ノジモフは、史上最強と言われたサトシを粉砕し、RIZINライト級の新王者に君臨したのである 。
ウズベキスタン人としての誇りと責任
ノジモフにとって、格闘技は個人の栄光だけを目的とするものではない。彼は常に「ウズベキスタンという国を世界に知らしめること」を自身の使命として掲げている 。勝利後のインタビューで、彼はしばしば「私の故郷の村、そしてウズベキスタンの全ての都市で応援してくれている人々にこの勝利を捧げる」と述べている 。
このナショナリズムは、彼の精神的な拠り所となっており、厳しい減量や怪我のリハビリを乗り越える原動力となっている。彼がRIZINの王座を獲得した際、ウズベキスタン国内では国を挙げての祝賀ムードとなり、彼は英雄として迎え入れられた 。





